チェンマイの哲学カフェに行ってみた
哲学カフェ。
「答えのない問いについて、見ず知らずの人とつらつら語り合ってみる」という集いに、2年前くらいからはまってまして。「答えのない」ってのがミソで。「効率化とは!」とか「生産性を上げるには!」とかとは無縁の世界。
パリ発祥なんだけど、今日本でも、探してみると全国各地でいろいろ開催されている。見つけたらふらっと行ってみることにしている。
で、チェンマイでも探したらあった。タイ語だったらあきらめるけど、どうやら英語で行われるっぽいので、ちょっと聞きに行ってもいいかしら、くらいのスタンスでふらっと行ってみた。
会場はとあるカフェ(哲学カフェやけんね)。毎週水曜日の夜にやってるらしい。で、行ってみたら思ったより人がいる。30人近くいたんじゃないかしら。ほぼ欧米人で、多分タイの人はいなかったな。結構年配の人が多い。でも若い人もいる。どうもほぼ固定メンバーな感じ。
この日のお題は、
How can we live more authentic lives?(もっと「ちゃんと」生きるにはどうすればいいのだろう)?
うーん、この「authentic」って日本語にしづらい単語っすね。哲学カフェでも、けっこう「authenticity」とは何か、みたいなとこを中心に議論してたので、かちっと定義できない。なぜなら答えがないからね。なのであいまいな感じにしてみました。「ちゃんと生きる」ってどんな生き方やねん、みたいな。
authentic lifeってどんならいふ?って話から始まって、
authenticに生きれば幸せと言えるのか、とか
authenticな生き方って、国や文化によっても違うよね、とか
年齢によっても考え方が違うんじゃない?とか、
authenticってコミュニティや人との関わりがあってこそじゃない?とか
いやいや、必ずしもコミュニティ関係ないでしょ?とか
authenticityってのは自分が決めるものでしょ、とか
自分自身でいることでしょ、とか
それはつまり他人には決められないよね、とか
ストレスフリーで生きることじゃない?とか
(でもストレスフリーに生きるって可能なのかしら)
で、ある人が言った、
選択肢がいっぱいある世の中のauthenticってなんだろう...
ってのに思わず5回くらいうなずいちゃいました。
選択肢については、なんとなくずっとひっかかっている。
以前よく行ってた哲学カフェでも、選択肢の話はよく出た。
選択肢があるのは幸せなことかもしれない。
でも、選択肢がないから不幸せとも限らない。
この哲学カフェを見つける前にも、ある職人さんの、それはそれは見事な手さばきを見ながら、ぼーっとそんなことを考えていた。
その職人さんとは、ひたすら青パパイヤを刻む老夫婦。